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Factcheck福島批判と週刊文春報道について

4月頭から、Factcheck福島に対する批判的見解と、週刊文春の「復興不倫」報道に関してツイッター投稿をしたところ、いわゆる「炎上」状態となり、結果として主張とは異なる引用がなされたり、正常な「批判」のレベルを超えて特定の個人が攻撃されるような状況を生み出すことになっており、多方面の方々にご迷惑をおかけしている状況にありますことを、まずはお詫び申しあげます。

そこで改めて、こちらのブログで、私の批判のポイントや、週刊文春報道に対する見解を書き記しておきたいと思います。今回の批判に乗じる形で、原発事故の健康被害や被曝状況などに関し、看過できない差別的な言説が見られるようになっています。そのような言説の流布は、私のまったく望まないものであります。改めて自分の立場をクリアにしたうえで、私の見解を以下に書き記します。

 

1、Factcheck福島に対する批判のポイント

 

私は、かねてから、Factcheck福島に対して、というより、一部の人たちが強固に行なっていた「不安の排除」、「安直なデマ認定」というようなコミュニケーションに対し疑義を呈してきました。2015年に歌手の大塚愛さんが「放射能の子どもへの影響を思い食品には神経質になっている」という主旨の発言をしたことを契機に、ツイッター上では「福島県産忌避は差別か」という議論が激しく巻き起こりました。当時から、私は「選択の自由は認めざるを得ず、忌避自体は尊重せねばならないのではないか」という立場を保持しています。

一方で、Factcheck福島が記載するデータや科学的見解には完全同意の立場です。魚も野菜もコメも安全性が確保されていると思っていますし、健康被害についても同様の見解を持っています。私個人も、有志たちとも海洋調査を行なって数値でそれを実証していますし、かつていわき市内の食品メーカーに勤めている時には「福島の食品は放射性廃棄物だ」などと大変酷い言葉をいくつもぶつけられ悔しい思いをしました。ですから、Factcheck福島がやろうとしていることは、科学的な見地からは正しいと思っています。

しかし、いかに科学的に安全でも、それが届かない人は実際に存在しているし、そのような人たちにも、それぞれに考え抜いた上での論理が存在しています。そういう人たちを「差別」という強い言葉で制してしまったら、対話から遠ざかるだけでなく、かえってその人を社会的に追い詰めてしまうのではないか。そのような否定は、コミュニケーションの実効性に乏しく、信頼関係を傷つけ、結果的に、強固に「デマ」を信奉するコミュニティを存続させることになるだけではないか。私のポイントは、そのあたりです。

リスク判断は人それぞれです。内部被曝を可能な限り避ける人は避けるし、農薬や添加物を避ける人もいます。魚を食べるのはOKだが野山の山菜は食べないという人もいます。そんな「異なるリスク判断」を表明しただけで「差別」と呼んでしまうのには到底賛同できません。とはいえ、あまりに酷い「デマ」は存在しているし、それを口に出されたら、差別されたと感じる人が福島に多いことも知っています。粘り強く、事実をもとにした情報発信を続けつつ、「相互不干渉」的に、違うリスク判断の人たちがお互いを尊重し、調停を図るためのルールを考えるほかないのではないかと思います。

 

2、週刊文春報道に関して

 

そのような批判を展開するなかで、週刊文春において、東電の元副社長と、南相馬市の活動家の女性の不倫が報じられました。みなさんご存知のように、この女性(以後Aさんとします)は南相馬を代表する活動家であり、数年前から、学者や医師、メディア関係者の手厚い保護を受け、独自の「福島差別論」を展開してきた方でもあります。「福島から来たと告げたら東京では放射能を理由に物件が借りられなかった」とか、「東京の病院で南相馬の保険証を見せると差別的に別室対応された」など、個人的にほかでは耳にしないほどの、あまりにも酷い差別を受けてきたというわけです。

その差別体験が強烈だったことも手伝ったのでしょうか、Aさんは、学者や医師やメディア関係者の支持を集め、福島の差別問題を語るうえでの重要人物となり、Factcheck福島でも度々取り上げられることになります。しかしその主張の裏で、Aさんとは逆の声、放射能被曝を不安視する声や、避難先での生活自立に困難を抱える人たちの声はかき消され、むしろ「風評を助長する」として排除されてきました。

しかし、週刊文春の報道が正しいとすれば、Aさんは悪質なタカリと言わざるを得ない存在だったようです。自分が被害者である、差別されているということを論拠に著名人とつながり、のし上がり、東電の幹部に金を要求していたと報じられています。私たちは、Aさんがリアルな差別当事者だと思えばこそ、彼女の声を可能な限り尊重してきたはずなのに、ただのタカリであったのだとすれば、Aさんの語る差別とはなんだったのか。結局彼女はカネを得てのし上がりたかっただけじゃないか。どれだけの人が配慮を求められ、どれだけの人が自分のリスク判断を排除されてきたと思っているんだと腹立たしく思いました。

ADRでは、双葉郡の人たちの、一人たった数万円の賠償金上乗せ要求が拒否され続けているのに、Aさんが要求すれば、電気業界の団体や東電幹部から個人的に100万円単位の大金が出てしまう(あくまで文春報道によれば、ですが)。それは本当におかしなことだし、そんなふうに地域復興が行われてきたのかと思うと、自分がやってきたことがバカバカしくなってしまいました。いわきや双葉郡の生活の場で慎重な対話を続けている人の頑張りを無駄にする行為だとも思いました。私には、文春報道の全てが腹立たしく感じられ、そのような感情的な状態で、Aさんに対する批判とFactcheckに対する批判を同時に展開してしまいました。

 

3、批判の混同

 

私の投稿は、少なくない人たちに取り上げられ、しばらく前から存在していた、Factcheck福島による辛淑玉さんについての投稿への批判と、完全に同質化する形でネット上に流布されることになりました。次第に、その批判は強い党派性を帯び、最近では、一旦は落ち着きかけた放射能の「デマ」や、福島の食品を貶めるような過激な投稿が復活してきています。また、批判のレベルを超えた非常に強い口調での個人攻撃、吊るし上げも行われるようになっており、言説が過激になってきています。私はこのような状況を全く望んでいません。

私は、Factcheck福島は「メディア」ですし、福島の看板を背負っていますので、批判は必要だったと思っています。差別という言葉を盾に異論を潰すようなやり方では、正しく情報が伝わらないと思いますし、特定の被災者の声に過剰に乗っかることは、地域の多様な声を封殺することになるからです。一方、福島の食の安全や魅力を伝えたいという立場では同じですし、先に書いたように、医学的科学的見解はFactcheck福島に完全同意の立場です。

Fatcheck福島は、シノドス代表の芹沢一也氏のもと、新体制づくりが行われていることになっており、声明も拝読しました。事実を淡々と伝え、広く正しい情報発信に努めるということであれば、意義ある活動になると思います。声明が出て、体制の刷新が宣言されたわけですから、これ以上の過剰な「攻撃」は地域の分断を深めるだけです。また、批判に乗じる形で、被曝に関する明らかな事実誤認も散見されます。このような言説には断固反対します。

今回、多くの方から「同じ福島県内で、同世代の人たちが風評と戦っているのに、意見が完全に二分しているように見えるのは悲しい」という意見を頂戴し、かつて富岡町のある方から「分断ではなく役割分担なんだ」という言葉を頂戴したことを思い出しました。もちろんしかるべき批判はみな互いに必要ですが、修復不可能なところまで追い詰め合うような苛烈な戦いからは何も生まれないし、それは結果として、小さな声を封じることとなり、同時に「東電や政府を利する」ことになると思います。

結果として、地域の分断をさらに深めるような一因となったのは、私の、冷静さを失った感情的な投稿でありました。ご迷惑、ご心配をかけたみなさんに改めて深くお詫びするととともに、より多様で健全な発信環境をつくるため、慎重な情報発信に留意しつつ、今後も、地域に根ざした企画や情報発信に力を尽くしていきたいと思います。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

 


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