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コミュニティのたたみかた

地域づくりや地域アートや、とかく地域とつくものならなんでも「コミュニティ」という言葉が出てくる昨今。なんとなくその「コミュニティ」という言葉が一人歩きしているような気もするのだけれど、改めて考えておきたい問題が今日突如として頭のなかに浮上したので備忘録的に書いておくことにする。

コミュニティというと、「つくる」とか、「つなげる」とか、まあとにかくこれからコミュニティをつくってつなげて充実させようじゃないか、という「足し算」で考えられるものがほとんどだと思うのだけれど、「コミュニティを解散する」ことや「地域を終わらせる」ことを念頭に入れたうえでのコミュニティの作り方、というのがあるのではないかと考えさせられた。

今日、編集者のアサダワタルさんにお話を伺っていて感じたことである。アサダさんは今年、小名浜の下神白にある復興公営住宅で、そこに暮らす人たちに様々な話を伺って、それをある形でアーカイブしていくというプロジェクトに参加している。なんでそんなことが行われているかといえば、一言でいえば「団地コミュニティのもやい直し」のためである。

復興公営住宅というと、普通は被災した地区や町ごとに復興住宅が作られるのだが、ここの団地は富岡町も双葉町も浪江町もごっちゃまぜ。もともと暮らしていた地域関係なくぐちゃぐちゃに住まざるを得ない団地なのだ。同じ棟に住んでいるのに、どこから来た人か分からないとか、分からないがゆえに、集会所などでは「元の町」のグループができてしまうとか、賠償やら帰還困難やら被災状況で立場が変わり、集住しているのに分断してしまうとか。根深い問題を抱えている。

だから、まずは「文化や芸術の力でコミュニティを再生する」みたいな、超ありがちなお題目からアートプロジェクトがスタートし、数年を経て、今年からアサダさんがプロジェクトの担い手として団地に入っている。アサダさんの話は、また後日別のサイトで紹介されると思うので、詳しくはそれを読んで頂くことにして、とても印象的だったのは、アサダさんが次のように語っていたことである(ちゃんとした書き起こしじゃないから、一字一句合ってるわけじゃない)。

「いずれ、皆さん自分の地元に戻るので、結局、ここでコミュニティを作っても、この団地は無くなってしまうかもしれないし、みんなバラバラになってしまう。そこで『コミュニティはひとつ』みたいなアプローチをして、強固の結びつきを演出しても意味があんまりない。いずれバラバラになる。バラバラの決断をする。それぞれの地域に戻る。それを前提に、その分散の後でも、コミュニティの痕跡のようなものが確認できるものを作らないといけないのではないか」。

いずれはバラバラになることを念頭に置く。こういう考えを持ちながらコミュニティに関わるのって、とても難しいことだ。さすがである。そして、ああ、これはまさに「コミュニティのたたみかた」を意識しているんだなあと思った。いずれ解散する。いずれバラバラになる。だからこそ「ゆるやかな連帯の痕跡」というか、「ああ、あれはもしかすると連帯というものだったのではないか」という思いを喚起させるものが必要なのだ。

アサダさんの話を聞きながら、「ああああ、これはとても大事だぞ」という言葉をこころのなかで何度吐き出したことか。

 

—いわきだからこその「コミュニティのたたみかた」

 

コミュニティの解散というのは、実は、いわきで繰り返された歴史なのではないだろうか。例えば常磐炭鉱などまさにそう。石炭を掘るために全国から人がやってくるけれど、閉山したら仕事がなくなる。人は仕事を求めて解散していく。現在の産炭地を見てみればいい。「コミュニティは終わる」ことを猛烈に感じるはずだ。例えば、関ヶ原、戊辰の二度の敗戦もそうかもしれない。その後のエネルギー産業も皆そうだろうし、現在のいわきの主要産業である「製造業」もそうかもしれない。

いわき市の歴史とは、コミュニティの離合の歴史だ。アサダさんのような「コミュニティのたたみかた」を意識することは、いわきに暮らす以上、必須の思考なのだと思うし、地域を考えるための「思考の軸」にもなり得ると思った。そしてそれは既存の復興政策に対する批評にもなり得る。みんな仲良く、みんな楽しく、の先の、コミュニティがなくなるというところまで頭に入れておく。開き続ける復興ではなく、むしろ閉じる復興。

みんなでこれをやりましょう。仲間になりましょう。お話ししましょうなんつって、みんなで無理してないだろうか。コミュニティを作るプロジェクトのためにコミュニティを無理矢理に作らされているなんてことはないのだろうか。本当は放っておいてもらいたいと思っているかもしれない。しかし皆さん、どこぞで何かしらの思い出のようなものを作りたいとも思っている。それを、閉じることを前提にしながらつくっていく。たたみかたを考えながら。

その「たたみかた思考」は、やはり潮目の地であるいわきだからこそ必要な考え方だと思う。中央の意向や、国策や、エネルギー産業や、まあ中央の論理でコミュニティをズタズタにさせられがちな地域だからこそ、そこで連帯をつくるには、「後から思い返せばあれは連帯だったのだろう」と思い出すことができるような装置が必要だ。それが何かはぼくなんぞには分からない。アサダさんはそれに挑んでいるわけだけれど。

それにしても、「コミュニティのたたみかた」なんて言葉が出てきたのは、雑誌『たたみかた』の影響である。広げること、強くすること、開くこと、そんなことばかりやっている今のローカルで、「たたみかた」という視点は非常に鋭い。「たたみかた」という概念を得る前と後では地域を見る目も変わっていく。「たたみかた」は、地域を語るとき、とりわけでいわきで語ろうとするとき、ますます重要性を帯びる言葉になっていくのかもしれない。残酷ではあるけれど。

 


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