東北で幽霊に叱られる
ひどく頭の中が混乱している。けれどその混乱のもたらす疲労はなぜか心地よい。くらくらするような目眩は、充実した学びの証なのかもしれない。今月頭から参加している「みちのくアート巡礼キャンプ」のことだ。民俗学者や文化人類学者、演出家に小説家、舞踏家やキュレーターといった講師たちの講義は、縦横無尽に歴史を横断し、千年の時を平気で遡って幽霊を呼び覚ます。歪んだ時空のなかで、次々に繰り広げられる知的体験、そして膨大な情報。脳みそが疲れるのも無理もない。心地よい麻痺。ここから覚醒するには少し時間が必要かもしれない。
みちのくアート巡礼キャンプは、東北から問いを立てる、ということをテーマに繰り広げられる学びのツアーキャンプである。東北にゆかりのある作家や学者、アーティストたちと共に東北各地を巡礼し、数々の学びを得ながら、自分たち自身で「問い」を立て、そしてその問いを、具体的な作品、展示、企画のプランとして練り上げ、最終発表でプレゼンするというものだ。ぼくは今日、ようやくその中間発表を終えたところである。今月末には最終プランの発表をするのだが、なんとかなりそうな感触は、つかめている。
東北には何かがある。だからこの巡礼ツアーは東北を目指す。では何があるのか。一言で粗く言ってしまえばつまり「幽霊的存在」ということだろう。東北では、人と神、自然、地霊や怨念は、私たちの暮らしと分けることのできない地続きのものとして存在している。古典芸能や文学作品を参照するまでもなく、現地のお祭りや震災との向き合い方にも、それは強く表れている。そのことを、ぼくは今回のツアーで改めて知ることになった。
久々の赤坂先生との対面。まさか君が参加しているとはと驚かれた。
民俗学者の赤坂憲雄先生との遠野ツアーや、文化人類学者の石倉敏明先生の講義は、古来より培われてきた東北の精神性(特に死者との関わり)を掘り起こしてくれただけではなく、むしろ、震災後を生きる私たちの暮らしをいかにアップデートするかという問いを起こすもの、あるいは、忘却や文化の収奪に抗う術を考えるものとして、大きな視座を与えてくれた。そしてその視座と同時に二人の先生が今なおこうして東北の地で研究を続けることの「気骨」のようなものを過剰に受け取らずにはいられなかった。
また、二人の先生の講義では、食べること、排泄すること、愛することの複雑な「循環」が提示された。それは東北によく見られる昔話や民話のモチーフであるだけでなく、農業をはじめとする生活の営みにも反映されているという。また、石倉先生の提示した「内臓/外臓」という考えも面白かった。私たちの目の前の景色は、いや風景だけでなく、食文化や歴史や、地霊や神の存在もまた、私たちの内臓・胃袋と切り離せないものだという考えは、福島の食に関わる人間としてのあり方を大きく変え得るインパクトがあった。
言葉が与えられた途端、今まで見てきた景色が一変してしまう。その知が得られる以前と以後では、同じ事象の意味合いが変わってしまう。そのような閃き、「ああ、そういうことだったのか」という深い納得が、このキャンプにはいくつも転がっている。そしてそのような知が、東北から生まれ、そして細々とも生きながらえ、それが震災後になってじわじわと膨らみ始めていることを、二人の先生の講義から感じ取ることができた。
陸前高田で作品を残した瀬尾夏美さん+小森はるかさんの取り組み、古川日出男さんの講義、岡田利規さんとの対話からは、「幽霊的存在を通じて真実にアクセスする」というアーティストの役割について考えさせられた。アーティストは霊媒者的な存在だ。実際の人だか、幽霊だか、いるのだかいないのだかよく分からないような存在だからこそクリティカルに指摘できる真実。それを、アーティストは翻訳して語ることができる。彼らの言葉は、深淵で、綿密で、真摯で、そして恐ろしかった。
アーティストとはそこまでやるのか、というシンプルな驚きは、何か傷のようなものとしてぼくの心に残ることになった。瀬尾さんと小森さんの作品(『波のした、土のうえ』の映像作品)が強かったからかもしれない。作品上映中のほとんどの時間、ぼくは涙と鼻水を流し続けることになった。音声だけは耳に届いた。素晴らしく、また残酷な作品だった。そしてそこには、まぎれもない真実があった。
そして、その驚き、というか傷は、批判的な視点として自分に跳ね返ってくる。「事実」や「ファクト」ばかりを追いかけ、その正当性をめぐる議論に満足するだけで、真実を探ろうとしなかった自分への批判として。ポストトゥルースの時代とはいうけれど、しかしトゥルースの時代があっただろうか。トゥルースではなく単に「ファクト」や「自分」をぶつけ合うだけで、誰もトゥルースに肉薄しようとしていなかったではないか。お前もその一人だと。
郡山出身の作家、古川日出男さんはこう語った。アーティストは事実を語るのではなく、真実を翻訳するのだと。雷に打たれるようなショックだった。古川さんの発言をメモした自分のノートを見返すと、そこだけやたらに筆圧が強い。2011年に『馬たちよ、それでも光は無垢で』を書き上げた作家の生き様、魂に触れる講義。それだけで、このキャンプの価値はあった。自分の「見えてなさ」が恥ずかしくなるくらいだった。あの講義は、ぼくの人生を確実に変えていくと思う。
2012年に訪れて以来の陸前高田。かつての街は、盛り土の「下」にある。
なぜ東北か。単に幽霊の存在が被災者に癒しをもたらすとか、「古き良き東北」を懐かしむとか、文化人類学とアートの融合とか、そういうものを考えるためではない(もちろん導入としてそのような類のことを考える必要性はあると思うが)。むしろ傷ついた社会をより良い方向へと導くための文化運動の機運だったり、巨大な潮の流れに抗うためにぶつけるもう一つの底流のようなものが、この東北にあるからだろう。それは、もともとあったとも言えるけれど、震災によって再び浮かび上がったものでもある。震災によって再召喚された幽霊。それは東北にしか存在しない。
震災後、ぼくたちには「震災前よりもっと良い町にしなければ」という思いがあった。しかし現実的な「今ここ」に支配されざるを得なかったぼくたちは、目の前の現実を受け入れ、仕方なしに「復興」を受け入れ、見守ることしかできなかった。仕方なかった。こうするしかなかったんだと。しかし、アーティストたちは、幽霊的な存在との対話を通じて、何かに抗い、真実と対話する術を、静かに、しかし強く提示し続けてきた。それを、今度はぼくたちが受信しなければいけないのではないだろうか。
彼らの存在は、有り体にいえば「希望」という言葉に言い換えることができると思う。そして、その希望を再起動するだけの膨大な蓄積が、大きな傷を受けてなお、この東北にはあったということでもある。絶望と希望が隣り合わせに存在し続けてきた東北で、ぼくたちは、その微かな希望をどのように膨らませることができるだろうか。いわきに生きる人間として、そして廃炉を次の世代に放り投げざるを得ない世代の人間として、地域を担う現場の人間として考え続けなければならない。
まあ、考え続けないといけないのは最終プランのほうであって(汗)。今一度、講師の先生方の本を読みあさり、メモ帳を片っ端から見直して、東北の希望を、この「東北にも関東にもなれなかったいわき」に見いだすことはできるのか、じっくり考えてみようと思う。ぼくはこの「常磐」から問いを立てるつもりだ。なぜなら、常磐は東北の入り口でもあるから。かつて「来ル勿レ」と呼ばれ、今は「帰還困難区域」を生み出した常磐。「入ってはいけない」この「聖域」から、東北を、そして世界を照射することは、可能なのではないか。