福島を伝えること、原発事故という障害、そして誤配
震災後の福島で情報発信というジャンルの仕事や取り組みに関わってきて思うことの1つに「福島を伝えることは障害福祉に似ている」ということがある。「いかに理解者を増やすか」とか、「知らない人たちにこそ情報を届ける」とか、「当事者問題」とか、情報格差とか、「知らない人を巻き込まないと社会が変わらないぜ」的な問題意識とか、障害福祉に関わる人たちも似たようなことを言ってて、構造がやはり似ているな、と思わずにはいられないのだ。
独立してから、いわき市などで就労移行支援事業所を運営しているNPO法人「ソーシャルデザインワークス」の皆さんと仕事をするようになった。ぼくは同法人の広報の業務を一部担当している。それでよく同法人の代表の北山さんや現場のクルーの皆さん、通所してくる皆さん(それぞれに多様な障害を持っている)に話を聞くようになった。インタビューをしたり、イベントを取材したり、それをウェブや紙媒体で紹介したり、要するにこちらも「情報発信」の仕事である。
特に、代表の北山さんたちが掲げる「ごちゃまぜ」というキーワードや、北山さんたちの理念に共感することが多い。同法人が毎月のように行っている「ごちゃまぜイベント」という企画がある。農業体験をしたり、スポーツをしたり、楽器を奏でたりクッキーを作ったり、それこそ「なんでもあり」なイベントで、障害の有無や年齢や性別に関係なく楽しめる場になっている。
北山さんたちに話を聞くと必ずこういう言葉が出てくる。「障害福祉をやってる人だけでは課題は解決しない」とか、「障害福祉に関わらない人が関わることにヒントがある」とか、「無関心な人たちに届けないと意味がない」とか、「ごちゃまぜの状態を当たり前にする」とか、そういう感じの。つまり北山さんたちはあまり「内部」には期待していないのだ。「外部」の影響からしか変化は起きないということを、北山さんたちは理解している。もちろんぼくも同感である。
障害を持った人が、どれだけ手厚い支援を受け、技術を身につけ就職したとしても、そこで働く現場の人たちの「受容力」のようなものがなければ、そこでトラブルが起きてしまう。だから、一部の人たちだけが配慮を求められるのではなく、社会のみんなが少しずつその配慮をシェアできるようになれば、1人に求められる配慮は小さくなる。それはとてもヘルシーなことだ。そのためには、「福祉のできごと」を「社会化」「地域化」することが求められる。だから北山さんたちは「ごちゃまぜ」のイベントを企画している。
しかし、その「社会化」や「地域化」も、真面目の度合いを上げてしまえば、事情を詳しく知る人しか参加できなくなってしまい、結局タコツボ化してしまう。だから、「社会化」や「地域化」(つまり「より多くの人にその課題の端緒を感じてもらうためのアクション」)を進めるには、真面目の度合いを下げるしかない。「合理的配慮」を多くの人たちで少しずつシェアするのと同じように、「真面目さ」や「当事者意識」もまた、多くの人たちで少しずつシェアできる仕組みを作っているのである。
内部の人たちや専門家からすれば、「事情を知らない人たち」や「素人」を相手にすることは至極つまらないことかもしれない。初歩的なことを伝え続けなければいけないし、相手の知識のなさに辟易することもあるかもしれない。しかし、同法人のクルーは、「そんなことも分からずに障害福祉に関わろうとしているんですか?」なんてことを絶対に言わない。むしろ「ここに来てくれたこと」それそのものを評価してくれる。何の関心もなかった人が、0.1の関心を持ってくれたことに喜びを感じているのだ。
―障害福祉と「誤配」
そこで思い出されるのが、東浩紀さんの『観光客の哲学』である。同書は専門的な哲学書だが、批評の世界というより、我々のような「実践の世界」の住民こそ参照すべき多くのキーワードが記されている。その1つは「誤配」であろう。
この「誤配」という言葉、それそのものが実に哲学的な言葉で、それ1つだけで数冊の哲学書が書けるような言葉だが、あえてぼくが粗く翻訳すれば、届けようと思っていなかった人に偶然メッセージが届き、それが予期せぬ配達だったがゆえに、そこに新しい解釈や意味が生まれ、それが、問題を解決に導くヒントになる可能性を持ってしまうこと、そのような人たちに予期せず偶然に「届いてしまう」ということだと考えている。
そのうえで東さんは、「誤配」には「ふまじめさ」が必要だと言う。ふまじめであるがゆえに、まじめではない人(つまり当事者としてみなされてない人)に届いてしまうのだ。社会課題なんて知らない。全然関係がない。デモにも行かないし、ロビー活動もしない。そのような人に届いてしまうからこそ、硬直した考えや当事者意識に、新しい風を吹き込むことができる、その可能性があるということだ。二分化され硬直化した世界(業界)を前にすると、誤配とは希望そのもののように思えてならない。
しかし「ふまじめさ」は、まじめな人たちからは当然批判されるだろう。北山さんたちが、既存の社会福祉業界の方々から批判されるのも同じ構造だと思う。福祉を知らない人が福祉事業所なんてやるな。イベントばっかりで障害者のほうを見ていない。チャラチャラしている。そのような批判である。しかし、北山さんたちは批判を気にするでもなく「ふまじめ」に徹している。そうでなければ福祉の課題を解決できない、福祉の課題を地域化できない、つまり障害の有る無しに関わらない「みなが暮らしやすい社会」が実現できないと分かっているからだ。
専門性が求められる障害福祉の世界に「ごちゃまぜ」というコンセプトを持ち出し、福祉とは関係なさそうなイベントを次々に打ち立て、地域に「0.1の関心を持つ人」を次々に生み出しながら、働くことを諦めていた人たちを粘り強く支援して、少なくない人たちを社会復帰に導いている(だからやることはやっている)。ソーシャルデザインワークスとは、そのようなまじめさとふまじめさを往復する「誤配の法人」でもある。その文脈でいえば、障害福祉こそ誤配が必要だと言えるかもしれない。まあ専門的評価は人によって分かれるだろうけれど。
そのような人たちと共に仕事をするなかで、北山さんたちがやらんとしていることと「福島を伝えること」はよく似ていると感じるようになった。北山さんたちに向けられた批判の声と同質の声を、震災後の福島でもよく耳にするからだ。一言でいえば「当事者語り」というものだろう。事情を知らないなら関わらないで欲しい、もっと勉強してから関わって欲しい、ふまじめな言説は迷惑だ、そのような声。福島を語ることは「まじめ」すぎるのだ。
確かに、ぼくたちは謂われない差別に苦しめられた。酷い言葉を投げつけられたこともある。だから、その防衛反応として「関わらないで欲しい」という声が出てくるのは、致し方ないことのように思う。しかし、それが度を超した当事者語りとなり、当事者性を盾に「自分の気に入らない考えの人たちを排除すること」になってしまうと、外部からの関わりそのものを排除してしまうことになってしまう。ぼくたちが当事者語りで排除してしまった人の中には、数多くの「ゆるく関心を持ってる人」がいたのではないか。それは、外部や未来の切り捨てだったのではないか。それは、ぼくたちにとって「損失」だったのではないか。そのように、これまでの自分を振り返っている。
ぼくが「復興には誤配がない」と語るのは、このような背景がある。
―原発事故とは福島の「障害」である
そのうえで、以前取材した「はじまりの美術館」の岡部館長の言葉を思い出す。「福島は、事故を起こした原発という障害を持っている」という言葉だ。実はこの美術館、郡山市の社会福祉法人が運営する美術館で、アールブリュットの作品をメインにしている美術館として知られている。岡部館長も、アート畑の方ではなく、もともとは障害を持つ人たちのサポートが本来の生業だった。だから岡部館長は自然に原発事故=障害という考えを持ったのだろう。
ぼくはその言葉を聴いたときにかなり衝撃を受けた。純粋に、そのような考えがあるのかという驚きと、自分が感じていた問題をかなりクリアに説明できる含蓄があったからだ。
ぼくはこんなことを考えた。復興とはなんだろうと考えたとき、多くの人たちは「ケガから回復する」ことだと思っている。震災や原発事故を一時的な「ケガ」と考えれば、それが治れば、以前のように健康な身体になり、他の地域と同じ状態になることができる。しかし障害はどうだろう。改善は当然目指していかなければいけないけれど、まずはそれを受け入れて「付き合っていく」類いのものだ。健常者から見れば「マイノリティ」の側に回らなければならない。
もちろん、これは復旧作業をやめろと言っているわけではない。ケガであろうと障害であろうと「改善」や「リハビリ」が求められるのは両方同じだ。しかし、震災を「ケガ」と考えるのか「障害」と考えるのか、そこには大きな違いが生まれるのではないかと思っている。それは「いかに受け入れるのか」という、向き合い方、捉え方の違い、ではなかろうか。
(テレビ局の記者時代、パーキンソン病の患者さんを取材したことがある。そこでぼくは、その患者さんについて「○○さんは病と闘っている」と書いた。病とは闘って克服すべきものだという考えしかなかったからだ。ところが後日、その方から連絡を頂いた。「私はパーキンソン病と闘ってるんじゃない、受け入れているんだ。だから闘ってるという表現は、全然違うんだ」と。ケガを克服するために闘うことと、受け入れることの違いをそのときに痛感した。唐突に思い出したので書いておく。)
よその地域を見回せば、障害を持っているような県は他にもある。広島や長崎、沖縄、あるいは水俣もそうかもしれない。戦災、公害、基地など。要するに「NIMBY(Not In My Back Yard)」を少なからず抱えた地域と言えるかもしれないし、「消しようのない過去」を持った県と言ってもいいかもしれない。そのような県と福島を同列に語るなという気持ちもよくわかる。けれど、ぼくはやはり「受け入れる」ところから始めるしかないのではないかと感じた。岡部館長の話を聞いて、美術館のある猪苗代からいわきに戻る車のなかで、頭がぐるぐるしたことを思い出している。
原発事故を障害と考えると、北山さんたちが取り組んでいること、「福島を伝える」ときのもろもろの問題点、復興のあり方、原発事故の受け止め方、東さんの考える「誤配」、これがするすると繫がっていく。
誤配は「外部/未来/ふまじめ」を切り捨てない。北山さんたちが「非障害当事者」たちとイベントを展開するのと同じだ。ならば、ぼくたちが「福島を伝える」こともまた、当事者ではないように見える人、まだまだ詳しく知らない人、誤った認識をもっている人、未来に生まれてくる子どもたち、うっすらと関心を持ってる人 etc… を排除してはならないはずだ。むしろそのような人が関わってくれることにこそ希望があるのではないか。
そのための出発点は「自分たちは障害を持っている」ことを認めることではないだろうか。あるいは「マイノリティの側に立っている」ことに目を向けることではないだろうか。むしろその立場を意識的に設定して(方法的差別)、世の中にある様々な「障害」を無くすべく、マイノリティ同士で連帯して、問題を炙り出し、それを時にポジティブな声に変換しながら、声を出すことなのではないだろうか。それができるかもしれないというのは、案外すごいことだし、実は希望そのものなんじゃないかと、そのような思いを強くしている。
福島で原発事故が起きた歴史は消しようがない。いや、消してはならない。忘れるべきでもない。二度と繰り返してはならないので、科学的な知見に基づくデータも含め、広く伝えていくべきだろう。でも別に「おれたちは大変な思いをした!」「原発事故はこんなに酷かった」ということを伝えろというのではない。当然、健康被害を「盛る」ことでもないし、お情け頂戴路線でもない。
北山さんたちが手がける「ごちゃまぜ」のイベントのように「あら、障害があるってったって全然普通じゃん」と感じられるような、ゆるい伝え方でいいと思う。「意外と普通」だからこそ、そのような普通の人たちが、普通に暮らすことの出来ない「社会の障害」のほうに目がいくのだ。
いわきでは、北山さんたち以外にも、ケアマネージャーの早坂摂さんとアートプロジェクトのディレクターを務めている高木市之助くんという2人の友人が「フクシノワ」という、全然福祉と関係なさそうな、でも超絶「フクシ」の企画をスタートさせた。みんなに共通するのは、非当事者にこそ問題解決の鍵があること(だから外部を遮断しないこと)、いつかは自分だってそうなるかもしれないという想像力を育むこと、だから福祉を考えることは実は自分の日常も豊かにしてくれるものでもあるのだ、ということ。そんな共通点がある。
自分の行動指針の話なので、みんながこうしろってことを言いたいわけじゃない。忘れたくないなと思って備忘録的に書いておいたまでだが、原発事故という障害を持った福島で「福祉」の意味が再討議されることは、とても自然な流れなのかもしれない。「福島を伝える」ことに関わるぼくたちも、福祉に学ぶべきことがたくさんあるような気がしている。
※参考記事
感受性の蓋を外す美術館を(はじまりの美術館の岡部館長へのインタビュー記事)
文化芸術の力で地域を「ごちゃまぜ」に(ソーシャルデザインワークスの北山さんへのインタビュー記事)
両方ぼくが書いた記事だけど、福島の「芸術」についてのサイトに、障害福祉に関わる人たちのインタビューが収録されているということが大事だと思う。自分で言うのもなんだけど、このお2人、超絶いいことを言ってるので、ぜひ記事のほうもご覧頂きたい。