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赦される里、猪苗代

土曜日は猪苗代町「はじまりの美術館」でトークイベントに参加。語り手は、会津若松でLOCALIZMというチームを組んで様々なローカルイベントを企画している薄さん、郡山にある日大の建築学生の眞船くん、そしてぼくの3人。ぼく以外の2人が場作りについて本筋でしっかり語ってくれるので、ぼくはカウンターでふざけた話だけをしていればよく、脱線しつつ面白いトークになったんじゃないかと思っている。久しぶりに楽しい時間だった。

トークの後の懇親会や二次会もそうだったけれど、とにかく雰囲気がよかった。雰囲気がいい、というのは、みんながいい表情をしているということ。誰もがその場所では対等に受け入れられるという安心感のある空間だから、皆が好き勝手に話し、それでいて排除はされることなく、普段は何となく大人しくしてそうな人やオタクや普段は悪態ばかりついているぼくのような人間も受け止めてくれる。

やはりアートが介在すると既存のコミュニティとは別の、普段はマイノリティと言わざるを得ないような人(失礼w)が集まって別のコミュニティができてくる。この美術館を郡山市の福祉法人が運営していて、障害者のアートであるアールブリュットに力を入れていることも無縁ではないだろう。この美術館の方々は福祉のプロでもある。しかしここはちゃんと美術館になっている。そのあたりのあんばいがいいんだなあ。

田舎で何かしら活動をしようとなると、プレイヤーはすでにだいたい決まっているもの。商売をやっていて地元の商工会や青年会議所に入ってるような方々や、昔からの商家に生まれた名士や地主、あるいは地域企業の経営者たち。でもそういう空気に馴染まない人たちにも確かにいて、彼らの居場所を担保することで既存のコミュニティではないマイノリティのコミュニティ「も」存在している、ということが地域の豊かさにつながっていくんだよなと再確認。

いやあね、もちろん商売をすると言うのなら既存のコミュニティに属したほうがいいのかもしれないけれど、既存のコミュニティでは掬いきれない人たちや、その人たちの持つ才能や才覚というものがあって、そこに光を当てたり社会に提示したりすることが芸術のひとつの役割なのだろうと思う。コミュニティが固定化しやすい地方こそ文化や芸術でもってコミュニティを掻き乱していくことが求められるのだと、ぼく個人的には強く思っている。

 

OLYMPUS DIGITAL CAMERA館長の岡部兼芳さんは元々は福祉畑の方。多様性を受け入れる美術館の館長にふさわしい

 

美術館の前の「しおやぐら」というおそば屋さんがとてつもなく良い美術館の前の「しおやぐら」というおそば屋さんがとてつもなく良い

 

磐梯山。さすが宝の山は存在感が違う。心が救われるようなどっしりとした稜線磐梯山。さすが宝の山は存在感が違う。心が救われるようなどっしりとした稜線

 

それにしても猪苗代はいい。今の時期は特に。磐梯山の美しい稜線が水田に映る。ほほを撫でる朝の風は優しげで、その風に乗ってどこからか鳥の声が聞こえてくる。今ここにいること、生きていること、そのことを強烈に認識させられ、そしてこの自然に受け止められているような感覚になる。赦されるというのかなあ。そういう気持ちにさせてくれる風景と言うのは、そうあるものではない。自然といい美術館といい、ここは赦される町なんだなあ。

ちなみに、はじまりの美術館のまえの「しおやぐら」では、蕎麦と山菜の天ぷらと、地元の蔵元、稲川酒造の「七重郎」を頂いた。やはり蕎麦屋で飲む日本酒こそ至高。思わず長居して冷酒をおかわりしてしまった。コシアブラの天ぷらも絶品で、出してくるものがイチイチうまい。美術館に行くなら、この「しおやぐら」のそばと天ぷらもお忘れなく。稲川さんの酒蔵も近い。地酒もぜひ。

 


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